千の風になって との出会い  陶板が出来るまで

千の風になって との出会い
平成15年のクリスマスの日が父のお葬式の日でした。
その二ヶ月ほど前までは仕事に旅行にと元気だったのですが。
病気による急逝でした。76歳でした。
年が明けて、しばらくしてのことでした。
私の二人の子供たちが大変お世話にった北海道の『フリースクールさとぽろ』の
代表宇野冴美先生(ご本人は先生と言われるのが嫌だとのこと)から、一冊の本を頂きました。
千の風になって』 ―a thousand winds―という詩が載っていました。
宇野さんから、『大変お寂しいことになりました。励ましやお悔やみの言葉は見つかりませんが、
何かの慰めにでもなればとお贈りいたします。』と。
芥川賞作家の新井満氏による作者不詳の原詩とその日本語訳詩と
それにメロディーをつけた曲の紹介の本でした。

作詞者不詳の原詩は、次のとおりです。
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a thousand winds
―Author Unknown―

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

上の詩と新井満氏の訳詩から、自分には以下のように
あたかも父が語ってくれているように思えたのです。
正確には、私自身がそう思いたかったんでしょう。
こんな風に思いました。
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父ちゃんの墓の前で悲しみに暮れ、泣くことはないぞ。
ここにないから。そこで眠ってはいない。

千の風となっておまえに吹いている。
雪の田んぼに輝くダイヤモンド粒となって。
たわわに実った稲穂を黄金色になびかせ。
疲れた体を癒す秋の雨となって。

おまえの朝の目覚め時には
父ちゃんは悠然と旋回して飛び、そして急上昇する鳥となって
一日の始まりを知らせてあげよう。
あるいは満天の星空の瞬きとなって。

父ちゃんのお墓の前で悲しみ泣くことはない。
そこにはいないから。そこで眠ってはいない。
おまえの耳元で千の風になって吹いている。
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って思いました。


時は流れ、平成17年の秋、新潟の取引先に立ち寄ったあと、大変お世話になっている
泉椿魚さんを訪ねて山形県鶴岡市へと自動で日帰り出張したときのことです。
博多訛りの金沢弁で椿魚さんは『よーっく 来てくれたばい。川田くん。 
なにっ すぐ帰ると。そっかあ。ほんならあ、いいもんあるさけ、これを帰りの車中聴いて帰るまっし。』
と貸してくださった一枚のCD。
椿魚さんが戯遊詩画人として、前年まで出会いの旅の仮住まいとした新潟県佐渡が島。
新潟ご出身の新井満氏と椿魚さんとの出会いのご縁から、椿魚さんの手に渡された
新井満氏の自主制作の30枚のCD『千の風になって』の内の1枚でした。
大音量で何度も何度も聴きながら石川県へとハンドルを握りました。

今年の一月になってその『千の風になって』が大反響を呼んでいると知りました。
自分こんなに慰めてくれた『千の風になって』を陶板にしたいと思いました。
これは、仕事柄もありますが、もし素敵なものを焼き上げることが出来たら、
少しは大切な人を失った悲しみを和らげてあげる役にたつと思ったからでもあります。
ともに川田美術陶板で陶板作りに励んでいるスタッフの吉岡くんからの『千の風色の陶板を焼き上げて』という言葉にインスパイアされて、只今鋭意製作中です。
どうぞお楽しみに。



2007/02/06