千の風になって 

千の風になって』のエピソードでこんなことがありました。

高校時代の同級生の奥様が急逝しました。
その訃報を葬儀後に知り、翌朝ご自宅に焼香させてもらいに伺ったときのことです。
お寺さんの仏前での読経も済み、ご遺族の方へ振り返りお話を始められました。
三人の子供さんの中には、高校生で海外留学中の娘さんがおられました。
彼女にとっては、お母さんの訃報に触れ、張り裂けそうな気持ちの中、
信じたくない出来事が進行していった慌しい数日間だった事でしょう。
憔悴しきって瞼の腫れも痛々しい様子の彼女に
お坊さんが懐から何かを取り出して、渡されました。
千の風になって』の英語詩と新井満さんの日本語詩の載った本と秋川雅史さんの音楽CDでした。
娘さんは、『千の風になって』の事は初めて知るらしく、
私もこれで少しでも心の慰めになればと祈らずにはいられませんでした。
ただ、私がお坊さんだったら、葬儀の翌日にそれを渡すだけの勇気はありませんが。
何をもってしてもそんなにすぐには悲しみは癒えるはずは無いと思うからです。
ただそれは、厳粛な死を職業として扱う宗教家。
やはり、お寺さんならではの気配りだと思いました。

千の風になって』の持つ言葉の力は宗派を超え、国を渡り、世代を縦断して多くの人の
心の傷を和らげることが出来るのだなあと、つくづく思いました。
そんな言葉の力を陶板で表現する者の責任みたいなものを感じて友人宅をあとにしました。

川田 裕康